バブル真っ盛りの80年代後半、どういうわけかサブカルチャーが隆盛していた。また、それを「ニューアカデミズム」的な観点から批評するという流れもあった。
その後も、例えば『エヴァンゲリオン』のような精神や宗教をからめた作品が出現するとその系譜の批評がちらほらでたりする。が、時代が変わったのだろうかそれほどは社会に影響を与えていないような気がする。当時は、時代を巻き込むような勢いがあったような印象がある。
自分も精神科領域で働くようになり、精神医学が絡んでくるような作品に出会うと専門職的な視点から作品を眺めるようになった。
最近、おおと思ったのは『おやすみ プンプン』のヒロイン母殺害後のヒロインの行動。かいつまんでいうと、実母からとある宗教の布教の手先に使われていたり、肉体的・精神的な虐待を受けていたヒロインが主人公と結ばれた翌日、二人で母と対峙。逆上した母と揉みあううちに二人はその母を殺めてしまう。その後、二人のとった行動は、その遺骸を山中に埋めてしまうというもの。ここらへんの絶望感ややり切れなさは上手く描かれている。
そして感心したのは、その後のヒロインの描き方。
よく映画や小説には謎めいた「記憶喪失キャラ」が出てくることがあるが、実際に多いのは犯罪をおかした場合である。自分が犯した罪の大きさを受けとめきれずにその部分を切り離してしまう。具体的には、その部分の記憶がすっぽり抜けたり、別人格になって遁走したりする。一般的に「解離」といわれているような現象だ。
半ば解離がおこりかけた状態や PTSD 的な悪夢などヒロインのメンタル面の描き方がかなりリアルなのだ(120話)。さらにヒロインのメンヘラー化は進み、「自分だけを見ていてほしいから」とフォークで主人公の左目を潰そうとする(121話)。おそらく作者の浅野いにお氏はかなりここらへんを勉強したのではないかと思うが、作品には勉強した痕跡を残さず、そのエッセンスを上手く作品のなかに溶け込ませている。
一方で作品の伏線として宗教が大きな要素となっており、こちらはこちらで多くのエピソードが描きこまれている。ヒロインのメンヘラー化の行方や宗教的な伏線の盛り上がり方からみて作品は終盤をむかえているようだが、これら要素がきれいにまとまると相当レベルの高い作品になるのではないかと思う。
猪股弘明(精神科医)