似非(エセ)医療

これまでこのブログでは、ありがちばエセ医療のことは書かなかった。

似非(エセ)医療、つまり、怪しげながん治療やサプリ、反ワク・・といったことだ。

多分、書き出すとキリがなくなってしまうし、どうもこの手のやつはどう料理していいかわからない。苦手だ。

ただ、具体的な事例が出てくると話は別だ。
一般的なところまで行き着けなくても、「この話はこの点が興味深い」と焦点を絞りやすい。事実に沿って書いても話はまとまる。


angel_p_57 という人がいる。
公開鍵暗号警察を自称していて(他人から揶揄的に言われているのではなく、自ら誇らしげに名乗っている)、当人としてはこの技術分野にある種の自負を持っているようだった。

自負を持つのは当人の自由だと思うが、困ったことは、あたかも自分(だけ)が正義の人になったように振る舞い、他人へ干渉してくることだった。
詳しくは『公開鍵暗号厨』や『公開鍵暗号警察』を読んでほしい。

私は技術分野には疎いので、彼の言動を評価する力量は持ち合わせてはいない。
だから、この分野に関しては、これまで何も言ってないし、今後も言わないだろう。

ただ、医療となると話は別だ。

たまたまだが、以下のページを発見した。

医者にさからえますか?

最初のコメントからしてこれである。

なんでしょうか、これは?

どういう状況で糖質制限となり、なぜ「糖たっぷり」の点滴が必要になったかわからないのだが、普通に考えると、高齢で食指不振に陥り、結果、低栄養状態になってカロリーを入れる必要があったと考えるのが自然だろう。

低栄養状態になれば、糖尿病患者でも糖分含んだ点滴をする場合はあるわけで、なぜ「糖分を含んだ点滴」にそこまで拒否的になるかわからない。

必要であるにもかかわらず高齢者に十分な栄養をやらないって普通に高齢者虐待防止法に抵触すると思うんだが、栄養入れるよりも「糖質制限」を優先しなければいけない何か特別な理由ってあるんだろうか?

ちなみに、彼がどういう人物かわからなかった頃、特定班(というほど組織的なものではないが・・)にこのページの存在を伝えたら、一同、「あぁ、そういうことか」と何かを悟ったようなので、まあそういうことかと。

 

 

メンタルホスピタルかまくら山のことなど

以下の記事は 2024 に書かれたものだが、その後、

・福慈会は破産

・メンタルホスピタルかまくら山は閉院

になっている。

記事内でも触れているが、精神病院は「斜陽化」してきている。
にもかかわらず(医師はそうでもないのだが)病院スタッフの危機意識が薄かったように思う。
地域住民が存続を切望して署名活動してくれたり、行政が何かと支援してくれたり・・・というのは、それまでその病院がその地域に十二分に貢献していた場合に限られる。
そのレベルに至っていない医療機関がそういう流れを期待しても、という感じだ。


医療法人研究 福慈会』で「メンタルホスピタルかまくら山」が言及されていたので、私も軽めに書く。

京浜間の精神科医のアルバイト事情

上の記事で「日当直バイトにはいい」というようなことが書かれているのだが、実は、私もスポットでこの病院にいったことがある。

これは不思議でもなんでもなくて、東京-神奈川の海沿いの交通アクセスのいい精神病院は限られている。
ざっとあげると、南晴病院・ワシン坂病院・新横浜こころのホスピタル・・・あたりで、やや離れてかまくら山があるというのが、ここいらに住む精神科医の認識ではなかろうか。

えらく生活感でる言い回しになると思うが、京浜東北線をメインに使って移動するとなると、これくらいしかないのだ。

だから、ここら辺に住んでいる精神科医の一定数は、上であげた病院のいくつかにバイトに行った経験はあると思う。

実際、勤務した際に医師勤務表などをチェックすると知り合いがものすごく多かった。

で、彼らからの評判だが、全然悪くなかったと思う。
大体において、日当直医師からの評価なんて「勤務時間に病棟から何回呼ばれたか?」、「検食は美味しいか?」あたりで即物的に決まってくる。
90床程度で、比較的落ち着いた患者さんが多ければ、病棟から呼ばれることなんてそう多くはなく、必然、評価は悪くなりようもない。(なお、新横浜の病院はそれなりに忙しい)

なんか微妙な関係にあるようだが、猪股先生自身、『メンタルホスピタルかまくら山の件』で

働き始めた当初はこの病院に悪い印象は全く持ってなかった。 

とはっきりいっているではないか?

非常勤で入る医師連中からしたら、こういった病院には潰れてほしくないので、ある程度は折れて働くことがある。

伝聞でしか聞いてないのでなんとも言えないが、院長退職に伴って勤務時間を融通させた医師をその後も自分たちに都合よく扱えると思い込む幼稚な全能感とか、どっちかといえば、病院側の対応に問題があったようにしか思えない。

恩を仇で返すような病院に、その後、医師たちがどういう対応を取るか想像力が働かなかったのかと思う。
(猪股先生自身は「ちょうど OpenDolphin コミュニティや南晴病院が崩壊する直前の雰囲気に似ていた。なりふり構わずって感じで、まともなロジックが通用しない」と某所でコメントしてます)

福慈会が入る前は・・

福慈会が経営をする前は、医療法人森と海というところが経営していた。(多分、私がスポットに入ったのはこの時期)

この頃は、地域の開業医さんの輩出機関としての存在意義もあったように思う。

思いつくだけでも

恩田クリニック・・恩田義幸院長

大船すばるクリニック・・大山育男院長

鎌倉メンタルクリニック・・渡辺克雄院長

といった先生方が、なんらかの形でかまくら山と関わっている。

こういった地域精神医療のエコシステムも壊してしまったようだ。

もちろん、「森と海」の頃が全て良かったということを言いたいわけではない。

例えば、ネット上にこういうページがある。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10147363245

鎌倉市在住のサラリーマンです。実は、うつ病で通院しているのですがその病院が不正が原因で9月に閉院すらしいのですが?
鎌倉には精神科病院が他に無くて本当だったらどこに行ったらいいのか困っています。鎌倉山から近い良い病院はないでしょうか?教えてください。お願いします。

補足
現在は、メンタルホスピタルかまくら山に通院中です。

患者さんの言い分であるから「不正」が本当に不正に該当するものなのかは、これだけではわからない。が、結局、運営から手を引いたことから考えて、なんらかの問題を抱えていたことは確かでしょう。

ただ、この質問者さんは最終的に

ありがとうございます。ちょっと遠くはなりますが、とてもいい先生なのでついて行きます。アドバイス有り難う御座いました。

と答えている。
運営的な問題はひとまずおくとしても、少なくともこの頃までは患者-医師関係はそこまで壊れてはいなかったのではないかと思う。

現在では、ここにもあるように運営自体がおかしくなっているようだ。

中小規模精神病院の今後

ここまで書いたので、ついでで書いてしまうと、こういった「非常勤で入るにはちょうどいい都市部の中小規模の精神病院」は、消滅する運命にあるのかもしれない。

時代的な背景もあって、この手の病院は人件費がかかる割に入院患者集めるのに苦労する、といったかなり致命的な問題を抱えており、よほどうまく手を打たないと乗り切れるとは思わない。(その点、カメリアやくじらは工夫していると思う)

なにしろ、(一部をのぞいて)行政側は精神病床数を削減したくてしたくてたまらないのだ。

潔く廃業した病院もあるだけに、なんの工夫も努力もせずに極めて自己中心的に延命をはかる病院の見苦しさには浅ましいとしか言いようがない。

 

(追記)猪股先生は、『医療Dx と標準型電子カルテ』という記事の中で「標準型電子カルテの普及目標に 200 床未満の精神病院は、将来的に入りそうもないので、そもそも厚労本省自体が、2030 年までにこういった 200 床未満の精神病院を潰す気なのでは?」という予測をしています。
もちろん、半分冗談で言っているのでしょうが、周囲からこのように見られ始めたら、なんか悲しくなりませんかね?

(追記2)「公式サイトのコンテンツがほとんどない」みたいなことを呟いたりしてましたが、そんなことはなくこんなページ↓が残ってたりしました。
お詫びして訂正。

認知症疾患医療センターかまくら山の主催にて、『認知症患者の治療、支援』をテーマに研修会を開催します。
一般市民、医療、介護、福祉にかかわるみなさまを対象に、広く募集します。
ご関心のある方は、ぜひご参加ください。
申し込み方法などの詳細はチラシをご覧ください。
<開催日時>
2025年3月21日(金)18:30~20:00
<開催方法>
ZOOMによるオンライン開催
<プログラム>
講演<50分>
『認知症患者の治療、支援について、医師の立場から ~特徴、実践的対応、治療~』
菅原 一晃(聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院 神経精神科部長)

しかし、閉院する10日前にセミナーやられても・・・。
なんかチグハグな印象受けますね。

 

DNAR誤解釈+患者家族お気持ち最優先理論=お看取りビジネス

前回の記事で、

DNAR = いっさいの治療不要

ではない、ということを解説した。

しかし、これを「DNAR の同意を取ったのだから、積極的な治療は不要」というように誤解釈する人が残念ながらいるということ述べた。
この誤解釈は、結果的に、本来であれば治療可能な誤嚥性肺炎のような患者が適切な治療がなされぬまま返らぬ人となることがあることも述べた。

最後にこれが「お看取りビジネス」のようなほとんど犯罪といってもいい事態につながってしまうことに言及した。

DNAR誤解釈からお看取りビジネスへの道筋へは、少々説明が必要だろう。
この二つの事象を結ぶパーツが必要だ。

このパーツをなんと表現すればいいのかわからないし、少々不謹慎な言い回しに聞こえるのを承知で言えば「患者ご家族お気持ち最優先理論」と言えば言えるだろうか。
最初に言っておくと、この考えは良識ある医師からしたら反吐の出るような考え方だ。

患者ご家族お気持ち最優先理論

医師が受け持ち患者の治療方針を立てるにあたって優先するのは、医学的妥当性であったり、療養担当規則で示されている指針であったりする。

そして、病院を含めた保険医療機関は、この治療方針に沿って組織的に患者さんの治療にあたる、というのが基本的な枠組みだ。

 

 

(続く)

DNAR=治療不要とミスリードさせ患者さんに不利益をもたらす困った人たち

精神科でも認知症を受け持つとこの問題に向き合うことになるのだが、その問題というのは「心肺停止時の患者さんにどの程度の治療を施すか?」というものだ。

心臓マッサージ→人工呼吸器のような流れになることもあれば、なにもしないという場合もある。

いつ心肺停止になるかを正確に予測することは不可能なので、そのリスクが高まった段階で、保護者などに病状を説明、治療としてどこまで行うかを予め決めておくのが普通だ。

認知症患者さんの場合、全身状態もそれほどよくはないので、無理やり蘇生を試みたところで思わしい結果になることは多くなく、大抵の場合、

DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)

の同意をとると思う。
Do Not Attempt Resuscitation、要するに蘇生を試みないという同意だ。
輸液程度はするかもしれないが、基本、積極的な蘇生はしない。

そして、ここからが今回の本題なのだが、

DNAR = (全ての)治療不要

ということではない

 

DNAR に関する設問

猪股先生がネット上でこの点に関し明快な設問を投げかけていた。
私が下手くそな説明をするよりは、はるかにこの手の問題のポイントを把握できると思うので、ほぼそのまま掲載する。


Q. あなたは認知症肺炎患者の治療スタッフの一員で、主治医のムンテラに陪席しました。
肺炎自体は重症ではないですが、抗生剤の反応が思わしくなかったため、念の為、主治医は病状説明の後 DNAR を取りました。
患者家族も介護疲れからか積極的な治療に乗り気ではないようです。
医療者の取りうる態度として適当なものはどれか?

1. DNAR を取ったのだから、治療をやめてしまう
2. 患者家族の気持ちに寄り添い、治療は中止する
3. DNAR と肺炎の治療は直接の関係はないので治療は継続する


ここだけを取り出せば、間違える人は少ないと思う。
現在の医療的なコンセンサスで言えば、正解は 3 だ。

DNAR はあくまで心肺停止時に患者に対して取りうるべき処置の指針であり、それ以外の状況に適用するものではない。

現場で働いている医師や看護師からしたら、間違えようのないわかりやすい状況設定だと思う。
「軽度の肺炎は、標準的な治療で軽快する」というケースをそれこそ山のように経験しているので、上の状況が即座に心肺停止を想定するような状況に移行することはないと認識するからだ。

医療現場の困った人たち

一般の人にはピンとこないかもしれないが、臨床現場(の近く)にいながら、この状況を即座に飲み込めない人がいる。

不勉強な現場従事者もいることはいるのだが数的にはそう多くはない。誤答する人の多くはいわゆるケースワーカー(精神科領域で言えば PSW Psychiatric Social Worker)といわれる人々だ。
よくこの手の解説記事で「医療関係者であっても DNAR=医療不要 と誤解している人たちがいる」と記述を見かけるが、この場合の「医療関係者」はほとんどの場合(暗に)そういった人たちを指している。
はっきり書かないのは多分に政治的配慮からだ。

そういった人たちが選びがちな選択肢は「 2. 患者家族の気持ちに寄り添い、治療は中止する 」だ。
ちなみに、私は「医学的知識も貧弱なくせに専門家ズラ。気持ちだけ寄り添われても迷惑なだけだし、もし患者家族だったとしたら気持ち悪いと感じる」タイプだ。

「気持ち悪い」というのは感覚的なことだけではなく、実益的にも(この後書くが)患者さんの不利益につながってしまう可能性があるからだ。

介護疲れといった一時的なネガティブな感情につけこまれ家族を殺されては、溜まったものではない。

私は「正義の人」でもなんでもないが、こういう「善意が悪行につながる」展開は生得的に受け付けない。

彼らのロジック

「患者さんの不利益」を具体的にいうと、生死に関わるような状況でもなんでもないのに「安楽死・尊厳死」といったいわゆる終末期医療の問題をそこに見てしまい、標準的な治療で回復可能な病態であっても「患者さんの尊厳」という錦の御旗の下、治療の中止を主張してしまうといったことだ。
なんで軽度の肺炎が末期がんや ALS などの神経難病と同等の扱いになるのかよくわからないが、彼らの一部はどういうわけかそのように認識するようだ。
もちろん彼らの馬鹿げた主張はカンファランスなどで一笑にふされるのだが、これはその医療機関が正常に運営されている時に限る。
現在では、医師の偏在は顕著になり、慢性的に医療スタッフ不足に陥っている地域ではケースワーカーの主張が力を持ってしまうことがある。
医療常識に欠ける事務長や不勉強な(あるいは思想的に偏った)看護師などがこの考え方を支持しまうからだ。

私が聞いた範囲では、地方の医師不足の精神科単科病院では、不幸にもそのような状態が常態化しているところがあると聞く。

不幸な結末

意図的にやっているかどうかは別として、彼らのロジックに従って物事が推移すると結果的に
治療可能な患者さんをDNR・尊厳死にかこつけて放置、あたかも自然な病死のように取り扱って死亡退院させる
ことになる。

上にあげた問題設定でいうなら、ただの肺炎がほぼ全例死亡退院になってしまうのだ。

んな、ばかな。。。。

DNAR の誤解釈からお看取りビジネスへ

なぜ、DNAR の誤った解釈が怖いかというと、状況によっては『お看取りビジネス』へと発展してしまう可能性があるからだ。

さすがにこれは稿を改めることにしよう。

 

(追記)猪股先生がかなりリアルなケースに遭遇しています。
そのうち記事でまとめてくれることでしょう。