メンタルホスピタルかまくら山のことなど

医療法人研究 福慈会』で「メンタルホスピタルかまくら山」が言及されていたので、私も軽めに書く。

京浜間の精神科医のアルバイト事情

上の記事で「日当直バイトにはいい」というようなことが書かれているのだが、実は、私もスポットでこの病院にいったことがある。

これは不思議でもなんでもなくて、東京-神奈川の海沿いの交通アクセスのいい精神病院は限られている。
ざっとあげると、南晴病院・ワシン坂病院・新横浜こころのホスピタル・・・あたりで、やや離れてかまくら山があるというのが、ここいらに住む精神科医の認識ではなかろうか。

えらく生活感でる言い回しになると思うが、京浜東北線をメインに使って移動するとなると、これくらいしかないのだ。

だから、ここら辺に住んでいる精神科医の一定数は、上であげた病院のいくつかにバイトに行った経験はあると思う。

実際、勤務した際に医師勤務表などをチェックすると知り合いがものすごく多かった。

で、彼らからの評判だが、全然悪くなかったと思う。
大体において、日当直医師からの評価なんて「勤務時間に病棟から何回呼ばれたか?」、「検食は美味しいか?」あたりで即物的に決まってくる。
90床程度で、比較的落ち着いた患者さんが多ければ、病棟から呼ばれることなんてそう多くはなく、必然、評価は悪くなりようもない。(なお、新横浜の病院はそれなりに忙しい)

なんかナーバスな関係にあるようだが、猪股先生自身、『メンタルホスピタルかまくら山の件』で

働き始めた当初はこの病院に悪い印象は全く持ってなかった。 

とはっきりいっているではないか?

非常勤で入る医師連中からしたら、こういった病院には潰れてほしくないので、ある程度は折れて働くことがある。

伝聞でしか聞いてないのでなんとも言えないが、院長退職に伴って勤務時間を融通させた医師をその後も自分たちに都合よく扱えると思い込む幼稚な全能感とか、どっちかといえば、病院側の対応に問題があったようにしか思えない。

恩を仇で返すような病院に、その後、医師たちがどういう対応を取るか想像力が働かなかったのかと思う。
(猪股先生自身は「ちょうど OpenDolphin コミュニティや南晴病院が崩壊する直前の雰囲気に似ていた。なりふり構わずって感じで、まともなロジックが通用しない」と某所でコメントしてます)

福慈会が入る前は・・

福慈会が経営をする前は、医療法人森と海というところが経営していた。(多分、私がスポットに入ったのはこの時期)

この頃は、地域の開業医さんの輩出機関としての存在意義もあったように思う。

思いつくだけでも

恩田クリニック・・恩田義幸院長

大船すばるクリニック・・大山育男院長

鎌倉メンタルクリニック・・渡辺克雄院長

といった先生方が、なんらかの形でかまくら山と関わっている。

こういった地域精神医療のエコシステムも壊してしまったようだ。

もちろん、「森と海」の頃が全て良かったということを言いたいわけではない。

例えば、ネット上にこういうページがある。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10147363245

鎌倉市在住のサラリーマンです。実は、うつ病で通院しているのですがその病院が不正が原因で9月に閉院すらしいのですが?
鎌倉には精神科病院が他に無くて本当だったらどこに行ったらいいのか困っています。鎌倉山から近い良い病院はないでしょうか?教えてください。お願いします。

補足
現在は、メンタルホスピタルかまくら山に通院中です。

患者さんの言い分であるから「不正」が本当に不正に該当するものなのかは、これだけではわからない。が、結局、運営から手を引いたことから考えて、なんらかの問題を抱えていたことは確かでしょう。

ただ、この質問者さんは最終的に

ありがとうございます。ちょっと遠くはなりますが、とてもいい先生なのでついて行きます。アドバイス有り難う御座いました。

と答えている。
運営的な問題はひとまずおくとしても、少なくともこの頃までは患者-医師関係はそこまで壊れてはいなかったのではないかと思う。

現在では、ここにもあるように運営自体がおかしくなっているようだ。

中小規模精神病院の今後

ここまで書いたので、ついでで書いてしまうと、こういった「非常勤で入るにはちょうどいい都市部の中小規模の精神病院」は、消滅する運命にあるのかもしれない。

時代的な背景もあって、この手の病院は人件費がかかる割に入院患者集めるのに苦労する、といったかなり致命的な問題を抱えており、よほどうまく手を打たないと乗り切れるとは思わない。(その点、カメリアやくじらは工夫していると思う)

なにしろ、(一部をのぞいて)行政側は精神病床数を削減したくてしたくてたまらないのだ。

潔く廃業した病院もあるだけに、なんの工夫も努力もせずに極めて自己中心的に延命をはかる病院の見苦しさには浅ましいとしか言いようがない。

 

(追記)猪股先生は、『医療Dx と標準型電子カルテ』という記事の中で「標準型電子カルテの普及目標に 200 床未満の精神病院は、将来的に入りそうもないので、そもそも厚労本省自体が、2030 年までにこういった 200 床未満の精神病院を潰す気なのでは?」という予測をしています。
もちろん、半分冗談で言っているのでしょうが、周囲からこのように見られ始めたら、なんか悲しくなりませんかね?

 

DNAR誤解釈+患者家族お気持ち最優先理論=お看取りビジネス

前回の記事で、

DNAR = いっさいの治療不要

ではない、ということを解説した。

しかし、これを「DNAR の同意を取ったのだから、積極的な治療は不要」というように誤解釈する人が残念ながらいるということ述べた。
この誤解釈は、結果的に、本来であれば治療可能な誤嚥性肺炎のような患者が適切な治療がなされぬまま返らぬ人となることがあることも述べた。

最後にこれが「お看取りビジネス」のようなほとんど犯罪といってもいい事態につながってしまうことに言及した。

DNAR誤解釈からお看取りビジネスへの道筋へは、少々説明が必要だろう。
この二つの事象を結ぶパーツが必要だ。

このパーツをなんと表現すればいいのかわからないし、少々不謹慎な言い回しに聞こえるのを承知で言えば「患者ご家族お気持ち最優先理論」と言えば言えるだろうか。
最初に言っておくと、この考えは良識ある医師からしたら反吐の出るような考え方だ。

患者ご家族お気持ち最優先理論

医師が受け持ち患者の治療方針を立てるにあたって優先するのは、医学的妥当性であったり、療養担当規則で示されている指針であったりする。

そして、病院を含めた保険医療機関は、この治療方針に沿って組織的に患者さんの治療にあたる、というのが基本的な枠組みだ。

 

 

(続く)

阿部生行という看護師と医師から嫌われるコメディカル

以前に書いた記事が意外に好評だったのと最近の精神病院運営のトレンドで気になっていることがあるので、上手くまとまるかわからないがあれこれ書いてみたい。

猪股先生の記事が興味深かったのだが、中でも興味を引いたのは阿部生行(2024.8 月現在メンタルホスピタルかまくら山に所属)という看護師の存在。
(以前「アベナマイキ」とお読みしていましたが、正しくは「アベタカユキ」さんだそうです。お詫びして訂正します)

ネット上での経歴など

まずはネット上で情報収集。。。

と思って(珍しく)検索などを実行したのだが、さして有益な情報は得られなかった。

あっても、北海道出身、音楽が趣味、子供が一人。。。という当たり障りないものばかり。

一般人であっても役職が上がれば「公人」的な役割が強くなり、通常は経歴などをどこかに公開するものなのだが、してないですね。
なんか違和感あるなあ。

ところで、(阿部生行の話は置いておいて)一般に医師から嫌われる(非)医師医療職の話をしよう。
大抵パターン化されるので。

(追記)上妻病院にいた、という情報もあるのですが、裏付けある情報じゃないしなー。あの先生が記憶違いすることはないと思うけど、あくまで非公式情報です。

嫌われるコメディカルの特徴

プチドクター気取り

これは有名だからいうまでもないでしょう。

医師の真似っこの診断ごっことかさ。
彼らの判断(もちろんこんなものは診断ではない)は、大抵、間違ってるけどさ。

過剰なドクターコンプレックス

医療系に限らず事務職などでもやたらとドクター(医師)に敵愾心を持っている人は多い。

「自分をのぞく兄弟が全て医師なのだが、自分一人だけ看護師」みたいな家族状況だと色々拗らせてドクターコンプレックスとでもいうような心情を持ちやすいようだ。

それが本来の仕事に向かってくれれば、それはそれで問題はないのだが、マウンティングみたいなことを始めると不都合でしかない。

経験の浅い医師への嫌がらせとかさ。

まあ、大抵の場合、後で盛大に報復くらうんだが。

派閥をつくって病院を支配したがる

病院で働く職員で数的に多いのは看護師だ。
だから、人格障害はいっているような看護師は、数的優位を作って実質的に病院を支配したがる輩も出てくる。

聞いた話だが、某精神病院の某看護師はミーティングか何かの席上で医師団(院長含)に対し「私の方があなた方よりも役に立っている!」とイキりまくっていたそうだ。

いや、そもそも精神病院なんて指定医持ちの院長(管理者)がいないと成立しないんだが・・・。

ちなみに僻地の病院で医師が一斉退職するのは大概これ系のトラブル。

 

 

(続く)

 

 

DNAR=治療不要とミスリードさせ患者さんに不利益をもたらす困った人たち

精神科でも認知症を受け持つとこの問題に向き合うことになるのだが、その問題というのは「心肺停止時の患者さんにどの程度の治療を施すか?」というものだ。

心臓マッサージ→人工呼吸器のような流れになることもあれば、なにもしないという場合もある。

いつ心肺停止になるかを正確に予測することは不可能なので、そのリスクが高まった段階で、保護者などに病状を説明、治療としてどこまで行うかを予め決めておくのが普通だ。

認知症患者さんの場合、全身状態もそれほどよくはないので、無理やり蘇生を試みたところで思わしい結果になることは多くなく、大抵の場合、

DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)

の同意をとると思う。
Do Not Attempt Resuscitation、要するに蘇生を試みないという同意だ。
輸液程度はするかもしれないが、基本、積極的な蘇生はしない。

そして、ここからが今回の本題なのだが、

DNAR = (全ての)治療不要

ということではない

 

DNAR に関する設問

猪股先生がネット上でこの点に関し明快な設問を投げかけていた。
私が下手くそな説明をするよりは、はるかにこの手の問題のポイントを把握できると思うので、ほぼそのまま掲載する。


Q. あなたは認知症肺炎患者の治療スタッフの一員で、主治医のムンテラに陪席しました。
肺炎自体は重症ではないですが、抗生剤の反応が思わしくなかったため、念の為、主治医は病状説明の後 DNAR を取りました。
患者家族も介護疲れからか積極的な治療に乗り気ではないようです。
医療者の取りうる態度として適当なものはどれか?

1. DNAR を取ったのだから、治療をやめてしまう
2. 患者家族の気持ちに寄り添い、治療は中止する
3. DNAR と肺炎の治療は直接の関係はないので治療は継続する


ここだけを取り出せば、間違える人は少ないと思う。
現在の医療的なコンセンサスで言えば、正解は 3 だ。

DNAR はあくまで心肺停止時に患者に対して取りうるべき処置の指針であり、それ以外の状況に適用するものではない。

現場で働いている医師や看護師からしたら、間違えようのないわかりやすい状況設定だと思う。
「軽度の肺炎は、標準的な治療で軽快する」というケースをそれこそ山のように経験しているので、上の状況が即座に心肺停止を想定するような状況に移行することはないと認識するからだ。

医療現場の困った人たち

一般の人にはピンとこないかもしれないが、臨床現場(の近く)にいながら、この状況を即座に飲み込めない人がいる。

不勉強な現場従事者もいることはいるのだが数的にはそう多くはない。誤答する人の多くはいわゆるケースワーカー(精神科領域で言えば PSW Psychiatric Social Worker)といわれる人々だ。
よくこの手の解説記事で「医療関係者であっても DNAR=医療不要 と誤解している人たちがいる」と記述を見かけるが、この場合の「医療関係者」はほとんどの場合(暗に)そういった人たちを指している。
はっきり書かないのは多分に政治的配慮からだ。

そういった人たちが選びがちな選択肢は「 2. 患者家族の気持ちに寄り添い、治療は中止する 」だ。
ちなみに、私は「医学的知識も貧弱なくせに専門家ズラ。気持ちだけ寄り添われても迷惑なだけだし、もし患者家族だったとしたら気持ち悪いと感じる」タイプだ。

「気持ち悪い」というのは感覚的なことだけではなく、実益的にも(この後書くが)患者さんの不利益につながってしまう可能性があるからだ。

介護疲れといった一時的なネガティブな感情につけこまれ家族を殺されては、溜まったものではない。

私は「正義の人」でもなんでもないが、こういう「善意が悪行につながる」展開は生得的に受け付けない。

彼らのロジック

「患者さんの不利益」を具体的にいうと、生死に関わるような状況でもなんでもないのに「安楽死・尊厳死」といったいわゆる終末期医療の問題をそこに見てしまい、標準的な治療で回復可能な病態であっても「患者さんの尊厳」という錦の御旗の下、治療の中止を主張してしまうといったことだ。
なんで軽度の肺炎が末期がんや ALS などの神経難病と同等の扱いになるのかよくわからないが、彼らの一部はどういうわけかそのように認識するようだ。
もちろん彼らの馬鹿げた主張はカンファランスなどで一笑にふされるのだが、これはその医療機関が正常に運営されている時に限る。
現在では、医師の偏在は顕著になり、慢性的に医療スタッフ不足に陥っている地域ではケースワーカーの主張が力を持ってしまうことがある。
医療常識に欠ける事務長や不勉強な(あるいは思想的に偏った)看護師などがこの考え方を支持しまうからだ。

私が聞いた範囲では、地方の医師不足の精神科単科病院では、不幸にもそのような状態が常態化しているところがあると聞く。

不幸な結末

意図的にやっているかどうかは別として、彼らのロジックに従って物事が推移すると結果的に
治療可能な患者さんをDNR・尊厳死にかこつけて放置、あたかも自然な病死のように取り扱って死亡退院させる
ことになる。

上にあげた問題設定でいうなら、ただの肺炎がほぼ全例死亡退院になってしまうのだ。

んな、ばかな。。。。

DNAR の誤解釈からお看取りビジネスへ

なぜ、DNAR の誤った解釈が怖いかというと、状況によっては『お看取りビジネス』へと発展してしまう可能性があるからだ。

さすがにこれは稿を改めることにしよう。

 

(追記)猪股先生がかなりリアルなケースに遭遇しています。
そのうち記事でまとめてくれることでしょう。

(追記2)聞いた話だが(あくまで伝聞です)、メンタルホスピタルかまくら山(当時)の***という PSW は、積極的に安楽死・尊厳死を認める立場のようだ。
やっていることから察するに「経鼻栄養もダメ」というかなり極端の考えのようで、医師団から散々呆れられていたようだ。
私も、ちょっと一緒に仕事したくないかな。

 

MRI とは?ーその3ー

nomad
MRIシリーズ第3弾。
前回の「スピン」がけっこうキモでしょうか。
ここから、画像を構成するところまでいければいいいのですが。

 

以前に説明したように水素の原子核(ほとんどの場合、陽子1個)には磁石としての性質があります。
身体と同方向に強い磁場をかけるとこの小さな磁石の大半は、かけられた磁場と同じ方向に向きをそろえます。ですが、このとき、もう一つの状態、つまりかけられた磁場と反対向きの状態も取ることができます。ちょうど棒磁石のN極とS極が反転したような状態です。エネルギー的に不利になるので、通常はこういうことはあまりおこらないのですが。

ですが、このとき、この二つの状態のエネルギー差に対応したエネルギーを外部から与えられとしたら、どうなるでしょう?

答えは、もう一つの状態に移行する、です。なお、このとき、原子の中心にいる原子核にエネルギーを与える方法は、「飛び道具」の電磁波くらいしかありません。棒でつっつくとかはできませんから(笑)。

電磁波のエネルギーを吸収した原子核はいったん高いエネルギー状態(磁場とは反対向き)に移行しますが、やはり不安定なので、やがて元の状態に戻っていきます。このとき、電磁波を放出します。(下の図では、高エネルギー状態を赤く表示しました)

 

ところで身体の大部分は水でできています。水は分子式で書けば H2O でしたね。放出された電磁波の一つ一つはわずかなエネルギーしか持ちませんが、ありがたいことに水分子の水素(H)が身体に大量に存在するおかげで、この電磁波を検出することができるのです。

このとき、この電磁波が身体のどこから飛んできたか(位置情報)がわかれば、それは身体の水素原子核(プロトンという)の分布を反映していることになります。

MRIの画像の基本の一つは、このプロトン密度を強調した画像です。水分含有量が多い脳脊髄液では高信号(普通は白く表示する)になり、あまり水分を含んでいない骨組織(の固い部分)などでは低信号(黒く描画される)になります。

これが、MRIで組織ごとにコントラストに差が出る基本的な仕組みです。形態を知る上では非常に重要な情報になります。
なお、このとき外部から与える電磁波はMHzくらいで、ラジオ波という言い方をします。FM放送が使っている周波数帯を思い出せば、この呼称は納得できるでしょう。

ラジオ波をかけると言っても原子核中の水素を「あたためる」だけのものなので、X線のように遺伝子本体(DNA)に影響はあたえるものではありません。MRIは「核」磁気共鳴がその原理ですが、日本では「核」という言葉に悪いイメージが伴うことが多かったので、今でも「磁気共鳴」と説明されていることが多いようです。もちろんラジオ周波数程度では、核分裂したり、核融合したりということはおこりません。

 

急性期脳出血(矢印)のMRI画像(沖縄県医師会報からの引用)

ラジオ周波数のかけ方によって、プロトン密度以外の情報も取得することができます。T1強調、T2強調、…いろいろあります。上のMRIの画像を見てください。脳出血をするとその部位の水分子や周囲の状況が変わるので、MRIの撮像方法によってコントラストが変わってきます。MRIは病気の診断にも応用できるのです。

薬子
そうか、MRIって形態だけでなく、診断にも使えるんですね。これまで何回も説明されてもピンときませんでしたが、これで少しはわかったように思います。

 


アイキャッチ画像は、
Lionheart, W. R. B. (2015). An MRI DICOM data set of the head of a normal male human aged 52 [Data set]. Zenodo. http://doi.org/10.5281/zenodo.16956
を、HorliX という医療画像ビューアで表示させたものです。
左が T1 強調画像、右が T2 強調画像です。同じ患者さんでも、ラジオ周波数のかけ方や信号の取得の仕方によって画像のコントラストが変わるのがわかるかと思います。

 

監修:猪股弘明(精神科医師)