サイマトロンの設定と RCT 神話

ここ数年精神科臨床で主に取り組んできたことは ECT に関することだが、簡単に言えば施行条件を変えることで効果に違いが出てくるのでそれに留意して施行しましょうということになる。
もっとも簡単に変えられる条件は
(A)電極の置き位置
(B)パルス波形
だ。もともとこれらはアメリカの randomized contorl trial (RCT) の結果に基づくもので、最初にこういうことをやった人は偉いと思う(特に(A)を最初に発見した Bailine は凄い! 彼の治療を受けられた NY の人たちは幸運だと思う)。
ところがこの貴重な RCT の結果の受けとめ方が、日本とアメリカでは異なってきている。日本ではどちらかいうと「これこれというエビデンスがあるから、この患者さんにはこういう条件で施行しよう」と患者さん個々を指向した最適化の方向に向かっているの対し、アメリカでは個体差なぞ目もくれず「かくかくのエビデンスがあるから、すべての患者さんにこれ!」といったかなり思い切った一般化の方向に向かっている。さすが正義とガイドラインの国。
私なんぞは前者寄りもいいところで、一時期は患者さんごとにすべて条件を変えて施行していた(標準的な手法ではけいれんすらおきない患者さんが多かったせいもある)。
具体的にいこう。例えば、最近は(B)の中でもパルス幅の設定に注目が集まっているが、従来の1.0msに比べ0.25msのパルス幅が治療効果の上でも副作用の面でも有利であるというのが RCT の結果である。アメリカでは「だからすべての患者に0.25や0.3msのパルス幅で施行しよう」という流れになっている。
とんでもない話だ。
現場にでてみればわかるが、0.25msではけいれんすらおきない患者さんはかなりいる。デフォールトの0.5msでけれいんがおきなかった場合、むしろ1.0や1.5msでしかかからない患者さんの方が多い。
これはガラパリの自然放射能のときにもいったことだが、バイアスの評価をしっかりしないと間違った解釈をしてしまう。ultrabrief pulse(パルス幅 0.1-0.5msのパルスを彼らはこう呼んでいる)を提唱している連中の頭の中は、きっと最適パルス幅は分散 0 でデルタ関数のようにultrabrief の領域に屹立していると思い込んでるのだろう。が、これはありえそうもない話だ。最頻値はこの領域にあるにしてもたいていのデータというものはこの値を中心にある程度の分散で分布してるものだ。基礎的な研究はかなりはっきりこういったことを示している。
統計的な処理をすれば、はずれ値というものは埋没するが、実際の臨床現場で目立つのはこういったはずれ値を持つ難治の患者さんでガイドライン的な治療はだから役に立たない。こういった患者さんに対し、日本の医者はけっこうがんばっているように思う。治療が難しい患者さんには病態を理解しそれに適した対応を考えるというのが自然ではないだろうか。
少なくとも「RCT の結果があるから治療法はこれのみが正しい」といったおかしな RCT神話は捨てた方がいいのではないかと思う。とりわけ患者さんの個体差が大きい(と思われる)精神科領域では。

 

自治体職員のメンタルヘルス相談業務のピットフォール

自治体病院で外来を持っていたとき、その自治体職員のメンタルチェックを頼まれることがけっこうあった。そのとき知ったのだが、職員の職種や所属先で労務管理の監督省庁が異なる。
簡単に言えば
・一般職員→人事委員会
・病院・介護施設などの職員→労働基準監督署
である。
自治体職員の監督省庁は職種に関わらず人事委員会だという誤解がかなり広まっているようで話がかみあわないことがしばしばあった。要するにこれは「人命などに関わる専門性の高い職場では自治体ではなく国が労務の監督をする」という思想が背景にあるようで(現業などというらしい)、自治体のお手盛り行政を防ぐという意味でかなり重要な区分けなのではないかと思う。(実際にはこれがうまく機能しておらず、長時間労働によるインシデントが続出なわけだが)
したがって自治体側の復職プランと相談にきた患者さん(看護師さん、介護職員、初期研修医(笑…えない))の意図がコンフリクトする場合には「労働基準監督者にいって相談してください」というのが正しい助言指導ということになる。
周囲を見ていると、間違って理解している人、多いですね。

(追記)もうちょっと説明すると困るのは自治体が厚生労働省の指導と異なる復職プランを設定している場合。ほとんどの自治体は厚生労働省の指針にしたがってその地域のモデルたるべく立派な復職支援体制をしいているのだが、なかにはとんでもない(ブラック企業なみ)の自治体もある。

 

医療画像処理

某企業より依頼があったので、CTやMRIなどの医療画像から特定の臓器だけ抽出するソフトを試しにつくってみた。

ささっとつくったにしてはなかなか。
ポイントは「閾値処理だけでは狙った臓器だけを絶対に抜けない」ということに気がつくかどうか。

ただ、任意の臓器で精度よく抜いていくのはかなり面倒だと思う。

(追記)この手の技術は CAD (Computer-Aided Diagnosis) というらしい。日本医用画像工学会の CAD コンテストというのがこれに近いことをやっていた。良くも悪くもこの分野の現状がわかる。

(追記)この機能、 Horos や OsiriX のプラグインを使って実現できないだろうか?

 

臨床心理士とカーンバーグの人格構造論

知り合いのメンタルクリニックで「臨床心理士業務+α」をしてくれる人を募集しているのだが、全然人が集まらないんだそうだ。けっこう人気がでそうな職種なのに、不思議だ。「+α」の部分は、受付だったり、事務的な仕事だったりするので、これがネックとなっているんだろうか?

ところでメンタルクリニックの外来をやっていると予診を心理士さんがやってくれることが多いが、プレゼンの仕方に何か違和感を覚えることが多い。私は、初診ではおおざっぱに見立てをして、必要があれば投薬。以降、面接を重ねながら診断を確定させていったり、薬の反応から処方内容を修正したり、という感じで進めている。この最初の「おおざっぱな見立て」をするにあたって根拠としているのは、カーンバーグの人格構造論というやつで私はたいへん重宝している。が、心理士さんたちは(知識としては習っているのだろうが)あまりこの考え方に重きをおいていないようだ。

というわけでカーンバーグの人格構造論。

神経症性パーソナリティ構造…抑圧を中心とする防衛…ヒステリー傾向・強迫性・自己愛性

境界性パーソナリティ構造…スプリッティングを中心とする原始的防衛…境界性・統合失調質

精神病性パーソナリティ構造…原始的防衛…統合失調型

と実におおざっぱに分類している。カーンバーグは人格障害に対してこの分類を適用しているが、実際には統合失調症圏、神経症圏に拡張して考えてもそう大きな間違いではないように思う。というのは防衛機制の使い方がこれらの疾患患者では独特だから。原始的防衛=妄想・魔術的思考などと読み換えるとしっくりくると思う。

 

(追記)

↓ にまとめました。

<パブー版> と<アマゾン版>

ありますが、内容は同一です。

 

医工連携−失敗から学ぶ?編−

流行の医工連携だが、メーカー側にも問題あるんじゃないかみたいなことをこの前書いた。日本の医療機器メーカーは意外に開発意欲がないみたいなことは以前から指摘されているが、その具体例みたいなものだ。これもよく指摘されていることだが、大学の研究者も「難しいことをいっている割に、役に立たない」と批判されている。これも私は実体験がある。

かつて私はECTの物理的なシミュレーションにこっていた(今でもこっているわけだが)。精神科医として駆け出しだった頃、とある日本の工学系の先生の書いた論文を見つけ、ナイーブだった私はそこで披露されたモデルにすっかり魅了された。
そのモデルは、

頭部を構成する各組織の誘電率をεiとし、ポテンシャルをφとして
εi∇・∇φ=0‥(1)
を有限要素法などでまず解いて各節点でのφを求め、次にこの結果と組織の導電率σiを用いて
j=σi∇φ‥(2)
で各要素に流れる電流密度j を求める

というものだった。従来のモデルで取り込まれていなかった誘電性を考慮し、方程式自体も正しそうだ(実際、(1)も(2)も単独であれば条件によっては正しい式だ)。なにより工学系の査読つき雑誌に載っている。というわけで、(今から考えると恥ずかしい限りだが)これは何か意味のあるモデルに違いないと思いこんでしまったのだ。
そのうち、自分で実験したりシミュレーションしたりするようになりこちらの経験値が増えてくると、このモデルが救いようもないモデルに見えてきた。すぐにわかる傷は、

① 外部から交流(でもなんでもいいのだが時間的に変化する波形)をかけた場合、人体であっても電圧と電流の位相はずれるが、
このモデルでは決してずれない
② 電位勾配を誘電性がつくり、その勾配の中を電流が走る、という構成になっているため、電流保存則が成り立たない

だろう。実測と合わないのは致命的にまずい。慣れた人なら「(1)式は静電場の式なので正しいわけがない」で一発アウトだろう。冷静になってみると、誘電率を使っているくせに変位電流がでてこないとか色々と変な点があることに気がつく。「救いようがない」と書いたのはそういう意味だ。

なんでこんなことがおこってしまうのだろう? 一つには、工学というのは、分野によっては、すぐに応用が求められるため、完全に根拠を示さなくても「可能性としてあり」なら査読に通ってしまうという風潮があるからではないかと思う(そうではないまっとうな工学分野の方が大半でしょうが)。また、インパクトファクター至上主義の影響のため、外部から少々の批判があっても関係者がごり押しでとにかく掲載を目指してしまい自分の仕事を冷静に振り返ることができにくくなっているからかもしれない。

医療機器に関して国の審査基準が厳しいのではという意見は数多いが、背景状況を考えると仕方がないのではと思うところがある。もっとも現場の医師は、工学系の人を「よくわからない数式を追っかけまわしている人」くらいの認識だと思うが。けっこう健全な考え方かもしれない。