フーコー『精神医学の権力』書評

精神科シリーズ第三弾。

高校の頃、哲学にも興味があり、フランス語も読めないくせにミシェル・フーコーの著作に惹かれた。全然理解できませんでしたけどね。

医師になり精神科を通過しているときにフーコーの『精神医学の権力』という本を読んだことがある。そのときに某所で書評を書いた。精神科の専門の先生方にも評判がよかったようなので再掲する。


その昔(バブルの頃?)、ニューアカというのが流行った。爆笑問題の太田氏が稀にネタにしているので知っている人は知っていると思うのだが、そのとき紹介された主要な人物がこの本の著者のミシェル・フーコー。『狂気の歴史』で「ヨーロッパ中世、狂気は普遍的に存在していた。古典時代にはいって<理性>と<狂気>は分離され、<理性>の確立のために<狂気>は他の生産的でないものとともにしかるべき場所(精神病院など)隔離された。したがって精神病院・監獄は権力の装置なのだ」と分析し、われわれの歴史観に一撃を加えた人だ。

しかし、しかしである。それが事実だったとしても、例えば、幻覚妄想状態バリバリの統合失調症の人が搬送されたきた場合、精神科医のやることはただ一つ。措置入院で隔離・拘束、保護室直行だ。それをやらないと困っちゃう人もいるわけで「狂気の復権」とかいわれてもねえ…という感じなのだ。

ここらへんのもどかしい感じをすっきりさせてくれるのが、この本の「訳者解説」だ。訳者の慎改氏はゴーシェという人の仕事を紹介する。


(フーコーの分析は)性急な関連づけによる論証の不十分さ、資料の扱いのぞんざいさが見えてくる、と。とりわけ…(略)…精神医学の確立に関する分析の欠落である。…(略)…ゴーシェは、まず理論的変化のほうが最初に起こったのであり、次いでこれが徐々に実践に反映されていったのだ、と主張するのである。…(略)…フーコーは、ピネルやエスキロールにおける実践を、全面的に規律権力の典型的なテクノロジーとみなしている。これに対し、ゴーシェは、十九世紀初めの精神科医たちに見られる理論的練り上げを、狂気との対話を開始する重要な契機としてとらえつつ、貶められた精神医学の価値を回復させようとしているのである。

ゴーシェという人がどういう人なのかわからないが、精神医療に精通している人のフーコーに対する的確な批判なような気がする。急性期を乗り切ってしまえば社会復帰可能な人もいるのだから。少なくとも、それを念頭におかずに治療にあたる関係者はいないのだから。


なお、訳者の慎改康之氏は現在明治学院大で研究室を主宰してらっしゃるようです。→ 研究室HP

ありがたいことに上で挙げた訳者解説が全文公開されています。→ PDF版

また、この書評を再録するにあたって、簡単にですがググりましたが、 YouTube 上でフーコーとチョムスキーのディベート映像をみつけました。

 

貴重ですね。




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