臨床心理士とカーンバーグの人格構造論

知り合いのメンタルクリニックで「臨床心理士業務+α」をしてくれる人を募集しているのだが、全然人が集まらないんだそうだ。けっこう人気がでそうな職種なのに、不思議だ。「+α」の部分は、受付だったり、事務的な仕事だったりするので、これがネックとなっているんだろうか?

ところでメンタルクリニックの外来をやっていると予診を心理士さんがやってくれることが多いが、プレゼンの仕方に何か違和感を覚えることが多い。

カーンバーグの人格構造論

私は、初診ではおおざっぱに見立てをして、必要があれば投薬。以降、面接を重ねながら診断を確定させていったり、薬の反応から処方内容を修正したり、という感じで進めている。

この最初の「おおざっぱな見立て」をするにあたって根拠としているのは、カーンバーグの人格構造論というやつで私はたいへん重宝している。が、心理士さんたちは(知識としては習っているのだろうが)あまりこの考え方に重きをおいていないようだ。

というわけでカーンバーグの人格構造論のポイントを解説。

神経症性パーソナリティ構造…抑圧を中心とする防衛…ヒステリー傾向・強迫性・自己愛性

境界性パーソナリティ構造…スプリッティングを中心とする原始的防衛…境界性・統合失調質

精神病性パーソナリティ構造…原始的防衛…統合失調型

と実におおざっぱに分類している。カーンバーグは人格障害に対してこの分類を適用しているが、実際には統合失調症圏、神経症圏に拡張して考えてもそう大きな間違いではないように思う。というのは防衛機制の使われ方がこれらの疾患患者では対応する人格障害の場合とほぼ同様に働くから。

原始的防衛というのがちょっとわかりにくいが、「妄想・魔術的思考などと読み換えるとしっくりくると思う。

なんでこの見立てが重要なのか?

簡潔に言えば、治療アプローチが変わってくるから。

「気分が落ちこんで・・・」などと患者さんが訴えれば、「うつ」を連想するが、これは単なる症状や症候のレベルの話。

内因性のうつや適応障害でこの訴えは多いのは当然だが、神経症傾向のある患者さんや人格障害傾向のある患者さんでもこのような訴えをする人は多い。

神経症では過剰な「抑圧」、人格障害では「ストレス耐性の低さ」などが解決しなければならない問題なので、これらの場合は投薬療法ではなく心理療法がメインとなるアプローチになる。

一般的に…

もうちょっと一般的に言えば、見立ての際には、まず

統合失調症圏・人格障害圏・神経症圏・感情障害圏(うつ病・適応障害など)

のカテゴリーを意識していると方針を見誤ることは減ると思う。

依存症との関係

では、依存症・物質使用障害はどこに位置付けられるのか?という疑問は生じると思うが、感覚的には「依存症は別」と考えている精神医療関係者は多いと思う。重度の依存症の場合、治療的には依存症専門の医療機関にお任せする方がいいと思う。
ただし、街中のメンタルクリニック外来レベルだと人格障害傾向がベースにあり、ストレス解消の一つの手段として薬物に依存するケースは多い。依存が成立しているというより一時的な薬物乱用(オーバードーズなど)であったりする。

この場合は、無闇に依存症専門の医療機関を受診させるよりは、ベースとなる人格障害の治療を優先した方がいいケースも多いと個人的には思っている。

メンタルクリニックの外来では興味深くもあり頭を悩ませるところでもあります。投薬すればそれでよし、定型的な治療で事足りるという世界ではなくなってきますから。

高機能型境界性人格障害 依存症・物質使用障害の基本

などもご参照のほどを。

 

猪股弘明(精神保健指定医)
Twitter: @H_Inomata (猪股弘明)

 

(追記)

↓ にまとめました。

<アマゾン版>

(追記2)ここ↓でもちょっぴり

メンヘラーのためのメンタルヘルス本(2)

取り上げてもらいました。ありがとうございます。

自治体病院の限界とメンタルクリニック外来

たまに問い合わせがあるので書いておくと、この4〜6月で職環境は大幅に変化した。
まず常勤で勤めていた某自治体病院だが、いろいろと限界を感じることがあり非常勤にしてもらった。これとはまったく無関係に出身大学の某講座の客員研究員の話があったのでこれは引き受けさせてもらった。
非常勤になると外勤が自由になる。というわけでいくつかのメンタルクリニックで外来をこなしている。外来ではECTのEの字も出さずに、無難に?精神科医してます。

猪股弘明(横浜市立大客員研究員)

世界一は立派だと思うが、速さよりアルゴリズムの方が重要な時代なのでは?

日本製スパコンの計算速度が世界一になったとか。
(→その後、転落。「2位じゃダメなんですか」発言があったり、その反動として「世界トップを目指す基礎研究の意義」みたいなことが議論されたが、ここでは実際に計算機を使って何かをしている人の個人的な感想みたいなものを述べてみたい)
私は、たまに計算機を用いた物理学的なシミュレーション(数値解析)をやることがあるのだが、その目処をつける段階では正直「計算機の多少の速度差は、ほとんど意味を持たない」という実感を持っている。
アイキャッチのフィギュアは、ECT 施行時の脳内での電流密度を描画させたものだが、この場合、そもそも計算機に与える信頼すべき基礎方程式自体がなかったし、だから、そのための理論とアルゴリズム一式を考案しなければならなかった。時間も集中力も消費したのは、正直そこだ。
スパコンの主要な応用分野の一つとしてシミュレーションがあると思うが、一般的に言って、この分野で苦労するのはモデル化であったり、モデルから実際の計算に落とし込むアルゴリズムであったりする。

速度や生産量というのは、一般の人にも理解が得られやすい指標なので、この点を中心に評価・議論されやすいが、だが、待ってほしい。
一昔前、日本は「半導体生産量世界一位」というプロバガンダを散々うったし、国民もそれに発揚されていたと思う。われわれはまだまだ naive だったのだ。このときの「半導体」は、CPU も RAM もひっくるめての生産量だ。もちろん、世界のトップ層は CPU (後には GPU も)や OS が次世代の計算機の要だ、という認識があり、裏では着々と研究リソースの再整備が行われていたと推測する。その後の計算機・ソフトウェア業界の覇権がどうなったかは、ここで言うまでもないだろう。一般国民は、騙されていたとも言えるし、間違っていたとも言えるかもしれない。ともかく、世界で戦うには、まだまだ未熟だったということだろう。

ここらへんの予算配分の問題は、もう一歩踏み込んで再考して欲しいなあと思う。

 

猪股弘明(都立松沢病院精神科)

医工連携−学会出張編−

この4月に医用工学系の学会にいってきた。自分の発表をするためもあるが、工学系の研究者がどんなことをしているのか興味があったからだ。

私の発表は、数少ない医学系研究者にはそれなりに評価してもらったようだが、一般の工学系の方々には今一つうけなかったようだ。テーマ自体が精神科領域のECTということに加え、最終的な主張が「現在使われている医療機器も、手技の進歩に応じてマイナーチェンジすべきではないだろうか」というおそろしく地味なものだったせいだろう。あー、でもこの主張をひっこめるつもりはありません。

工学系の発表を眺めると…。なんか微妙。現行の装置の改良というよりは「第二のCT・MRI」を目指したネタが多かったように思う。現場をくぐりぬけた立場からいえば、なんか夢みたいな研究だなという印象。夢みたいなことをいうのはいいんだが、臨床的な感覚がないがゆえに研究自体が変な方向にいっちゃてるのもけっこうあったような・・・。

例えば、TMS。

かつては「未来のECT。しかも安全」ということでそれなりに期待されていたが、期待ほどは普及しなかった(→これは、その後、保険収載されて 2019 現在ではそこそこ普及してきたが、設置基準などの問題もあり、今でもどこでも受けられる治療法ではない)。これにはかなり納得すべき理由がある。実は「ECT vs TMS」の比較化試験は既におこなわれており、その結果は「うつ病の中等症までは効果は同等、しかし重症ではECTの圧勝」というものだったからだ。一見するとTMSも有用に見えるが、現在のところ、うつ病の治療戦略全体から考えると重要度はそれほどまで高くない。なぜならば、中等症までならば「精神療法+薬物療法、さらに環境調整」でなんとかなってしまうケースが多く、あえてTMSを持ち出す必然性が見当たらないからだ。というより、軽症〜中等症までならECTもTMSも使わずになんとかしようと思うのが普通ではないだろうか。(ただし、日本でのTMSは海外で行われているそれより成績がいいという報告もちらちらある。が、これは本邦の精神科医が熱心で、治療のために患者さんの通院頻度が上がり、さらにそのときに医師・カウンセラーとの接触が増えるので、そのためではないかと推測されている)

話が若干逸れたが、工学系の方々も臨床の、特に疫学系の論文を読んだほうがいいんではないかと思った次第だ。

 

猪股弘明(医学士・理学士)

 

医工連携−失敗から学ぶ?編−

流行の医工連携だが、メーカー側にも問題あるんじゃないかみたいなことをこの前書いた。日本の医療機器メーカーは意外に開発意欲がないみたいなことは以前から指摘されているが、その具体例みたいなものだ。これもよく指摘されていることだが、大学の研究者も「難しいことをいっている割に、役に立たない」と批判されている。これも私は実体験がある。

かつて私はECTの物理的なシミュレーションにこっていた(今でもこっているわけだが)。精神科医として駆け出しだった頃、とある日本の工学系の先生の書いた論文を見つけ、ナイーブだった私はそこで披露されたモデルにすっかり魅了された。
そのモデルは、

頭部を構成する各組織の誘電率をεiとし、ポテンシャルをφとして

εi∇・∇φ=0‥(1)

を有限要素法などでまず解いて各節点でのφを求め、次にこの結果と組織の導電率σiを用いて

j=σi∇φ‥(2)

で各要素に流れる電流密度j を求める

というものだった。従来のモデルで取り込まれていなかった誘電性を考慮し、方程式自体も正しそうだ(実際、(1)も(2)も単独であれば条件によっては正しい式だ)。なにより工学系の査読つき雑誌に載っている。というわけで、(今から考えると恥ずかしい限りだが)これは何か意味のあるモデルに違いないと思いこんでしまったのだ。
そのうち、自分で実験したりシミュレーションしたりするようになりこちらの経験値が増えてくると、このモデルが救いようもないモデルに見えてきた。すぐにわかる傷は、

① 外部から交流(でもなんでもいいのだが時間的に変化する波形)をかけた場合、人体であっても電圧と電流の位相はずれるが、このモデルでは決してずれない

② 電位勾配を誘電性がつくり、その勾配の中を電流が走る、という構成になっているため、電流保存則が成り立たない

だろう。実測と合わないのは致命的にまずい。慣れた人なら「(1)式は静電場の式なので正しいわけがない」で一発アウトだろう。冷静になってみると、誘電率を使っているくせに変位電流がでてこないとか色々と変な点があることに気がつく。「救いようがない」と書いたのはそういう意味だ。

なんでこんなことがおこってしまうのだろう? 一つには、工学というのは、分野によっては、すぐに応用が求められるため、完全に根拠を示さなくても「可能性としてあり」なら査読に通ってしまうという風潮があるからではないかと思う(そうではないまっとうな工学分野の方が大半でしょうが)。また、インパクトファクター至上主義の影響のため、外部から少々の批判があっても関係者がごり押しでとにかく掲載を目指してしまい自分の仕事を冷静に振り返ることができにくくなっているからかもしれない。

医療機器に関して国の審査基準が厳しいのではという意見は数多いが、背景状況を考えると仕方がないのではと思うところがある。もっとも現場の医師は、工学系の人を「よくわからない数式を追っかけまわしている人」くらいの認識だと思うが。けっこう健全な考え方かもしれない。

 

猪股弘明 医師:精神科 理学士:物理
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