登戸の事件と「精神鑑定」

まだ医療観察法ができる前の頃のことなのだが、以前勤めていた病院で触法病棟(文字通り法を犯してしまった患者さんだけを集めた病棟)を担当していたことがある。担当症例が指定医申請用のレポートに使えるわけでもないし、はっきりいって人気がある病棟とはいえなかったが、うら若き女医さんを差し向けるわけにもいかないという事情も察しており(ちなみに看護師も男性のみ)、病棟を受け持っていた上級医の先生の診察スタイルに惹かれていたこともあって、担当を指示されても悪い気はせず引き受けた。
その関係上、当時、いわゆる「精神鑑定」書などもけっこう読んだ。

例の登戸の事件では、犯人は既に自死しているため精神鑑定などは行いようもないのであるが、しばしば連想されている附属池田小の事件では、当然、行われている。

現物を読む時間もないので、wikipedia などの記載をまとめると「宅間はいずれにも分類できない特異な心理的発達障害があり、この延長線上に青年期以降の人格がある。本件犯行時、本人は情性欠如者であり、穿鑿癖、脅迫思考を基盤とした妄想反応である、嫉妬妄想があった。本件犯行そのものに踏み切らせた決定的なものは情性欠如であり、著しい自己中心性、攻撃性、衝動性である」だそうである。
統合失調症圏は否定的、人格障害的な背景が強いことを示唆している。

また、調べていて初めて知ったが、死刑囚は死刑確定後、行政に対し刑の早期執行を要求している。

『八つ墓村』の主人公のモデルは現在では統合失調症ということで理解されていると思うが、事件後、やはり自死している。

かつて自分を馬鹿にした小学生・村民に復讐したいという(ある程度了解可能だがかなり不健康な)感情から出発し、それが妄想的・脅迫的ともいえる社会正義的観念に発展しないと実際の犯行に及ぶのは難しいと思う。が、奇妙なことに特異な興奮状態の下それを完遂すると当事者たちは「もう自分の天命はまっとうした」と言わんばかりに自己の存在さえも抹消しようとする。

他者の殺傷と自己の抹消が分かち難く結びついているというのが普遍的なものであるなら、このタイプの犯罪者に「一人で死ね」という批判をするのはほぼ無意味なことになるし、歪んだ観念を形成する「前に」何か手を打つというのが現実的な予防策になるかと思う


と facebook にさらっと書いていたのだが、最後の予防云々に関して「実は、同居していたとされる親族は事件『前に』川崎市の精神保健福祉センターに相談にいっていた」ということを教えてくれる人がいた。

こういうことらしい。

詳しくはリンクをたどって欲しいが、2017年からかなり頻回に相談しているにも関わらず、ほぼ放置といってよく、これを知ったとき、一同「うーん」とある種の後味の悪さとやり切れなさを覚えたように思う。

猪股弘明(精神保健指定医)

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